「ぶはぁ〜やっと終わったよ〜」
反対側に面する示記の仕事場が緊迫した雰囲気なのにも関わらず、ピザ屋側ではひとし
きりの仕事を終えて、椅子に腰掛けた蛇尾丸がコック帽と一緒にぶーたれていた。
「ったくもー、人使いは荒いし残業させるし、やってらんないですよー」
そういい
ながら、側にあった熱い茶をぐいっと、まるでビールジョッキの中身を飲むかのように
飲み干すと、デスクワーク用机に突っ伏した。後ろでコック帽が蛇尾丸の背中をさする
。
「もう何でボクばっかりー?師匠の命令とはいえ、何であんな人を・・・でっ!?
」
「人使いが荒くて悪かったな。ついでにもう一つ仕事が出来たぞ」
何やらひがみっぽい蛇尾丸に示記は茶と茶菓子を運ぶために使ったトレイをヒットさせ
る。片方の手には大きく膨らんで古ぼけたような革鞄が下げられていた。
「ほら、ぐずぐずせずに仕度しろ」
「もうちっと待ってくださいよー。さっきのでアタマが1.5度くらい曲がったかもしれ
ないのにー」
「大丈夫。お前の軸は米7合分は軽く耐えられる」
「ううっ容赦無い・・・・・・」
まだぶつくさと物言う蛇尾丸をもう一回殴ると、蛇尾丸ははぁーっと一息。
「逃げられないですよね」
「当たり前だ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・分かりました」
失望したようにそういうと、ポンッと空気鉄砲のような音と共に姿を消し、蛇尾丸が居
たところには細い青い軸の小さな筆が浮かんでいた。
「やっとその気になったか。さて次は、と」
示記は今度は逃げ回るコック帽を捕まえ、鞄にさしていた万年筆を取り出すと、コック
帽の顔らしき場所に大きく“示記”と書いた。すると、これもまた空気鉄砲のような音
を立てて、店のエプロンとコック帽を被った指揮が驚いたように立っていた。
「しばらくその姿で店を営業していてくれ」
鞄を提げた示記が言うと、コック帽の示記は渋々敬礼して、奥の調理場に消えていった
。
「あー。示記も早く仕度しろよー」
筆になった蛇尾丸は早く仕事を終わらせたいらしい。
「わかってる。さっさとやるよ」
片腕にサラサラと走り書きながら示記は蛇尾丸を引っつかむと鞄に押し込む。押し込ま
れた蛇尾丸が小さくぎゃっと悲鳴を上げた。
「よし。出来た」
示記が手のひらに何かを書き終えると同時に示記の身体が小さくなった。
「そんじゃ、行こう」
マジックミラー仕立てのゴーグルをし、示記は調理場にある煙突を伝って登る。煙突は
工場などの物と比べればかなり小さく、示記が子供の姿になった理由の一つはこれであ
った。
さて、煙突を伝って屋根の上に出た示記は突然の風にあおられて「うわ」とよろけた。
(おかしいな、きょうは風の無い日だって言ってたのに)
示記はふと空を見上げる。夕日がはるか地平線に沈んだ空は赤と青が織り成す紫の世界
だった。現在7時。あと三時間内に仕事を完遂しなければ、この紫の世界は人々の目に
どのように映るのだろう。考えたくない。
示記は看板のある場所が書かれた紙を取
り出す。
《若狭市皇の涙公園前のデパート『ごんべえ』屋上》
示記は大きく息
を吸うと、闇に傾きつつある空の中へ飛び込んで行った。
同時刻、皇の涙公園前は警察、報道陣、近所の方々、そして野次馬でごった返していた
。
ところどころ警察の黄色いテントが張り巡らされていて、なんだかえらそーな茶色コー
トのヒゲづら刑事がメガホン片手に、もう片方の手には小さい紙切れをつかんで何かを
叫んでいる。
「いいか!奴は予告状どおり今夜、犯行に移るはずだ!デパート出入り口はA、G、M班
、反対側ビルにはF、U、L班行け!狙撃準備を忘れるな!」
「ビル内にも人を入れてください」
テントの奥から澄んだ声がした。
振り返った刑事の顔には『生意気』という表情が
ありありと浮かんだが、すぐに整えて建前を作る。声の主はテントの奥で椅子に腰掛け
ながら予告状のコピーを指先でくるくると回していた。
「この大勢の人間を前にして、一人で活動する犯罪者なんて居ませんからね」
声の主の口元がニッと笑った。その時、テントの隅に置いてあったトランシーバーにピ
ッと通信が入る。声の主がボタンを押す。
「私だ」
「あー、あー、只今マイクのテスト中〜〜〜っと!もしもーし、風紀戦隊莫乃隊長であ
りますか?こちら久理亜ブルー隊員でありますヤッホー!」
「・・・・・・久理亜、お前あくまでもここ、現場だぞ?もう少し真面目になれんのか?」
「非道いなー。これでも大マジっすよ?大大大マジ!折角五人も隊員が居るんだし、色
は最重要事項っすよ!」
「・・・・・・・・・・・・もういい。本題に移ろう。対デパート『保吉』の様子は?」
「今のところ、これといった異変はないですね。あっ、そういえばさっき『ごんべえ』
と『保吉』の運営者の角中さんがいらして、なんだかかなり落ち着かない様子で歩き回
ってから外に出て行きましたよ。今は公園のどっかで煙草なんて吸ってるんじゃないで
すか?」
「・・・?分かった、変化があったらまた連絡してくれ。あと、『ごんべえ』をしっかり
見張っておけよ。更にもう一つ・・・・・・事務のホウキの滅菌処理と“カビ斬る”29本補充
を頼む。以上」
莫乃は途中余計な言動を残して通信を切った。
彼はまだ知らなかった。画文字技師よりも黒い闇に。
そして、トランシーバーに極小ながらも強力な“虫”が着いていた事に。