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示記は受話器を置くと、ずででででと階段を上がり、示記の部屋の隣で寝ていたベージュの頭にとび蹴りを一発食らわせる。
「くあぁー。何するんスか折角有給で冷やし中華特盛り30杯だったのに〜。」
「お前はこうでもしないと起きないだろ。さぁ、仕事だ仕事。早く着替えろ!」
頭に秒速30cmの飛び蹴りを食らい、訳わからないことをぼやく茶髪を示記は全面無視し、棚の戸をバッと開け放つ。棚の中には赤、青、黒等の色とりどりのペンキの缶が端から端までずらっと並んでいた。示記はその中から比較的小さめのペンキ缶を取り出す。 ペンキ缶にはまるでねっとりとした水のような透明のペンキが、淡く光を放っていた。そして筆にそのペンキをひたすと、おもむろにそばの壁に何かを書き始める。さらさらと滑らかに流れる筆の後にはキラキラ光る光の線が残される。筆が動くのをやめたとき、光の線は無色からまるで脱脂綿に色水が染みるように変化していく。

全ての変化が終了した時、示記の前には安直なコック帽を被った物体が示記を見上げていた。
「これから24時間蛇尾丸といっしょに店の仕事をしてくれ。蛇尾丸が怠けてたら、ハタキ56発も宜しく。」
コック帽は短く”敬礼”をすると、とことこと1階へ続く階段を降りていった。


この世界では人が言うもの、書くもの、想うもの全てが意味や力を持っており、それらは全て“言霊”と呼ばれる。“言霊”はあまりに強大な力を持つため、現在では〈ワープロ〉〈パソコン〉等といった電子機器に言霊を通して力を軟化させるといった方式がとられている。

しかく、時代を紡げば紡ぐほど、“言霊”を自由に操りたいという人々は出てくる訳で、そのほとんどは“言霊”の力を抑えきれずに自己を破滅させてしまうのだが、一方で“言霊”を自在に操れるものも存在する。

人は敬意と畏怖を以って、彼らを〈画文字技師〉と呼ぶ。

示記はその数少ない〈画文字技師〉の一人であるが、あえて建前としてピザ屋を経営するのは、政府に〈重要危険人物〉として連行されないためである。
それほど“言霊”の力は魅力的で危険なのだ。

さて、コック帽と蛇尾丸が早速注文されたピザと手前をこなしている頃、示記はピザ屋とほぼ反対に面する事務所で1人デスクに座っていた。
ピザを焼くなどという家庭的なことこそ不器用だが、本業に対する頭のキレや手先の器用さは天下一品の示記である。店の方はコック帽や蛇尾丸だけにしておけば、自分が居る以上に効率が良い事ぐらい分かっていた。

やがて、裏口の事務所のドア鈴が鳴って、依頼人が入ってきた。示記はそれを笑顔で迎える。
「すみません。あんな朝早くに」
「構いませんよ。こちらも良い運動になりましたし。ささ、こちらにどうぞ」
示記は相手を応接用のテーブルと椅子に案内した。


依頼人は髪のキレイな女性だった。
茶がかかった黒い髪は肩あたりで内側にゆるやかなカールを造っていて、良家の令嬢なのだろう、紫の淡いスーツを着て、ぴかぴかに磨かれた靴や珠貝のネックレスや指輪が彼女の身なりのよさを一層きわだたせていた。
「さて、本題といきましょうか」
女性が椅子に腰掛けると同時に示記は切り出す。その表情は電話の時のあの表情である。
「まずお名前を。そして依頼内容をおねがいします」
「はい」

女性はふせがちの目を上げる。緑色の瞳には深い憂いの泉がたたえられているようであった。
「私、横道琴美と申します。ご存知ですよね、横道議員を」
「ああ、『酉の石演説』の。よく知っていますよ」
「私の以来は、父の看板を止めて欲しいのです」
示記は少し困惑した。これまでに、悪徳商法の暴露、悪質商業のセールの自白など、一般的に庶民のためにやって着た本業である。 それを、政治に身体を丸ごと突っ込みかねないその仕事を本当にやった方が良いのか、疑問だった。
「それは貴女の私情での依頼ですか?それともこれからの運命に関わることですか?」
「両方です」
琴美はそれだけ言って深呼吸すると、苦しそうに言った。
「父は・・・脱税をしていました。私達も全然知らなくて、最近知ったのです。私達が知った頃にはもう相当な額で・・・父は私達と一ヶ月前に離縁しました。 けれど・・・父は今度国外に発つつもりなのです」

本当なら大スクープである。マスコミに売れば相当な額になるだろうな、と計算してみるが、本来の仕事に引き戻され、示記はさらに疑問をぶつける。
「それとこの依頼とは一体何の関係があるのでしょうか?」
琴美は黙って茶色のハンドバッグから試験管を取り出すと、示記の前で振ってみせる。試験管の中には白っぽい粉と粉を気体にさせたかのような気体が密閉された状態で渦を巻いていた。
「これ、なんだと思いますか?」
示記が黙りこくると、琴美は薬品名を告げた。
「青酸カリウムです。毒殺に使われる最もポピュラーな劇薬で、わずかにアーモンド臭がのこるだけで、ほとんどナフタレンなどとは見分けがつきません。父は自分が逃げる時に、警察の注意を引くために、看板にコレを仕込みました。看板の表と裏に表記してある言霊は、飾られてから約12時間後に、仕込んだコレを周辺にばらまくように設定されています」
「父はこのままでは取り返しのつかないことをしてしまいます。だからといって、私達に出来ることなどたかが知れてます」

「お願いします、父を、止めてください」
琴美の声は話の後半ではもう、泣き声に近かった。

事務所のドア鈴が再び鳴った後、示記は改めて事態の重大さを知った。



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